名誉会長
仁木征輝
人生を武道に奉げ、60年以上も指導者として武道界に貢献した、生ける伝説
柔道 七段
生年 昭和14年7月8日
昭和30年、岡山県立津山高等学校入学
津山高校の前身、津山中学の柔道は、武専を卒業した赤川寿太郎先生が大正10年、津山中学に着任した時から本格的に始まった。以後全国大会において、大正12年、昭和3年、6年、7年と優勝、昭和9・10・11年は3連覇、合計7回の全国制覇を果たした。その柔道は寝技が主体であり、「寝技の津山中学」として全国に恐れられた。
当時、岡山県柔道連盟の会長は、一生涯会長として就任した偉大な金光弥一兵衛であった。
仁木先生は当時としては珍しく、中学生の時から村の青年たちと柔道の稽古をやっていたので、津山高校入学と同時に上級生や高専柔道の先輩たちに寝技をたたき込まれた。
しかし、日本の柔道は講道館柔道一色となり、試合審判規定もたびたび改正され、高専柔道の寝技で決めることが困難となった。
そこで仁木先生は「相手を倒して寝技で仕留める」と言う格闘の原点を踏まえ、さらに左右前後の動きの中で相手の力も利用する独自の技で試合に臨んだ。スピーディーな攻防をするため、レスリングや合気道も研究した(レスリングは国体3回出場)。
柔道戦績・その他
第17回 国体優勝(団体教員の部)
第28回 国体3位(団体一般の部)
個人でも全国や中国地区などの大会に出場して好成績をおさめた。
また第5回、6回世界選手権候補選手として全日本強化合宿などに参加。
35歳で選手を引退してからは、 各地の大学、海外のナショナルチームの指導や全日本女子特別コーチなども務める。柔道の達人として偉大な仁木先生は流派や人種など関係無く、今日も武道家たちの指導に出掛けている。